僕が一番大切にしていること。
それは「家族との時間」です。
夢を追うこと
ぼくには叶えたい夢があります。
そのために今動いています。
ぼくは昔っから夢見がちな少年で、やりたいことはやる!という青年でして。しかし大人になるにつれて現実を知り、社会の厳しさを知り、「叶わないんじゃないか」という気持ちと「いや自分ならなんとかできる」という気持ちが格闘している期間があって、
「なんとかできる」サイドの右ストレートが綺麗に決まったタイミングで仕事を辞めました。それから夢を追いはじめ、その方法を模索するために自分のスタミナ限界まで動き回ったりして、家には寝に帰るだけの生活をしていました。
就職してから自分のやりたいことを抑えていたぶん、それを辞めて夢に向かっている期間、すごく楽しくて充実していて。夢というものには希望が詰まっていて、そこに向かうときの自分は核エネルギーを埋め込まれたかのような行動力を発揮していたんですね。
なりふり構わなかった時期
その期間、ぼくはほとんど家族との時間を取りませんでした。つまり両親や弟と過ごす時間ですね。自分のやりたいことがありすぎて、自分の夢を優先したくて、そこに時間を費やすあまり、家族との予定はほとんど入れられず、誘われても断っていました。
なりふり構わず夢にまっしぐら。そんな感じでぼくはしばらく「自分の人生を謳歌しているぜベイベ」状態でして。やっと手にした自由みたいなものが嬉しくて、やりたいことができる環境が楽しくて、当時のぼくは「夢中」という言葉そのものだったなあ。
そんなドリームタイムに突っ走っていた頃、
ふと思ったことがありました。
幸せってなんだ
「幸せってなんだ?」
そんな言葉がアタマの中を埋め尽くしました。
自分の夢が叶ったら幸せになれるのか? デカイことをやったら幸せなのか? 自分のやりたいことを最優先にすることが幸せなのか? そもそも幸せとはなんだ? とそんなことをひたすら考えました。
幸せについて考えて考えて出た答えは、
「自分が大切だと想う人との時間を過ごすこと」というものでした。あまりにも単純で、自分で出した答えにも関わらず拍子抜けしてしまったほど。
なんだ、幸せって目の前にあるじゃん。
今なれるじゃん。ってね。
自分の人生で一番大切なこと
それに気付いてから僕は家族との時間、恋人との時間、大切な友達との時間をちゃんと作るようになりました。もちろん夢はあるし、今でもそれに向かってはいるのですが、夢を叶えた先で大切な人が悲しんでいたら意味ないんです。ぼくの場合は。
ぼくにとっての幸せってのは「自分が大切だと想う人との時間を過ごすこと」なのですが、それは人それぞれ違うと思います。
大事なのは、「自分にとっての幸せとはなにか?」を自分自身で知っていること。それを知るために、それについてちゃんと考えること。なのかなあと。
見失うな
自分にとっての「幸せ」を知らずに進むということは、目的地が決まっていない状態で進むボートと同じで、
いくらオールを漕いでも(夢を追っても)目的地(幸せ)にたどり着かないんですよね。
これだと消耗するだけで自分がどこに向かっているのか分からなくなります。
自分を愛し、人を愛す。
— しみ (@shimi_yurutabi) November 26, 2015
目の前の一人を大切に。
ゆるく楽しく温かく生きる。
あの日から、ぼくはこのモットーを自分の人生に掲げています。宝の地図の、バツ印のところ。ブレることのない幸せの基準。
「あなたにとっての幸せ」ってなんですか?
自分と本気で向き合った数が、自分を幸せにしていくのだと思います。