「落ち着けよ。落ち着けば人間大抵のことはできるんだ。」
伊坂幸太郎さんのラッシュライフ
という作品の中にこんな言葉があった。
この言葉をはじめて知ったとき、
ちょうどぼくは仕事が全然上手くいっていない時期で、とりあえず鵜呑みにしてみた。
見えてきたもの

次の日から小さなことに一喜一憂せず、落ち着いて物事を進めた。すると不思議。ほとんどのことが上手くいった。
「なんだこれは」と思い、今までの上手くいかなかった自分を振り返ってみると、おもしろいほどに上手くいかない要素満載だった。「そんなカンタンなことだったのか、一本とられたよ」と言いたくなるくらい大きくも当たり前の気付きであった。
原因はなんだ

良いことも、悪いことも、モノゴトには必ず
「原因」というものがある。
この原因ってのは僕らの想像している以上に深いところにあって、冷静に考察してみないと見えてこなかったりする。なにも原因がなく生まれるモノゴトというものは天災以外にあまり思いつかない。
でね、落ち着いていると、この「原因」がめちゃくちゃ見えてくる。上手くいかなかったら冷静に考えて「ああ、アレがいけなかったのかも」と考え、良いことがあれば「アレのおかげだなあ」と感じるようになる。
この「原因」ってのが人生の幸せを左右していく要素だとおもっていて、なるべくならいろいろな「原因となる要素の特性」を知っていたほうが、身の回りのモノゴトの進む方向を自分でコントロールできる。
そんでもってこの原因を考えて考えて最終的にたどり着くのが「本質」ってやつなのかなあと思う。
考えろ

落ち着いていなかった頃のぼくは、
起きたモノゴトの表面だけ見て、悲しくなったり、嬉しくなったり、一喜一憂していた。
「なぜそれが起きたのか」を考えることはせずに、感情だけでリアクションをしていた。本質なんて見えていなかったな。今考えると、とても薄っぺらく、成長なんてもちろんしていなかった。
上手くいかないのは当たり前だ。
上手くいく理由も、失敗の原因も、考えてこなかったのだ。行き当たりばったりでその場だけ上手く繕ってやり過ごしていた。それで上手くいったとしてもただのラッキーで、実力ではない。だからごまかしの効かない " 真の実力が問われる大事な局面 " ではいつも失敗していた。
失敗をくり返すということは、
その都度この「原因」を深く考えていないのだ。当時のぼくがこれだった。
ただ、「娯楽」というもの関しては表面的な感覚で受け取っていいのだと思う。しかしそれ以外はこうやって落ち着いて深く考える必要がある。
プラスに変えていけ

そんなことを言っておきながらちょうど昨日僕の甘い考えから一つの問題が起きた。これにも必ず「原因」がある。表面的でなく深いところにあるような気がするので、ちゃんと自分との対話の時間を作る。
良いことにも、悪いことにも、原因がある。
良いことの原因は大切に伸ばして、悪いことの原因は丁寧になおしていく。
悪いことは、感情だけで表面的にみるからヘコんでしまうだけで、原因を考えて探してキチンと向き合えば成長に繋がる。学びにもなる。
咀嚼のしかた次第でいくらでもプラスに変えていけるのだ。
そうやってトライ&エラーを繰り返してきた結果が「今の自分」であって、これからの自分もそんな感じで作られていく。
前へ

今のあなたの人生はあなたが作ってきたモノであって、それが良いものならば原因はほかの誰でもないあなたであり、あなたが素晴らしいということ。
良くないものであったとしてもそこには必ず原因があって、それは自分を成長させる可能性であるということ。その要素はすべてあなたの中に眠っていて、そこに人生の醍醐味を感じる。
「落ち着けよ。落ち着けば人間大抵のことはできるんだ」
そんな言葉を自分に言い聞かせながら毎日を過ごしている僕は、まだまだ落ち着けていないのかもしれない。