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はなうた横丁

 ふらっとゆる〜く息抜きに。

一人で寂しい夜に温かい文章を。

LIFE LIFE-考えたこと

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こんばんは。夜ですね。

寒くてなんだか人肌の恋しい、そんな冬の夜にじんわり温かい薪ストーブのような文章が書けたらなあ、なんて思いながら筆を執っています。いかがお過ごしでしょうか。

みなさんは急に寂しくなる夜ってありますか?

僕はたまにあったりします。楽しく飲める友人もいて、家族も元気に生きていて、たのしい仕事仲間もいたりするのだけど、なんだかこう、胸の奥がムズムズするような、心臓がぎゅ〜っと小さくなるような感覚に襲われることがあったりして。

恋愛的な寂しさではなく、生きていることへの寂しさみたいなやつね。伝わるかなあ? 

誰かとの繋がり 

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ぼくが半年前シェアハウスに住んでいたとき、家にはいつも誰かがいて、たとえ夜中だとしても嬉しいことがあったらリビングに駆け下りて伝えられたり、楽しいことが思いついたらすぐに話せたり、悩みがあったら吐き出せたり、そんな環境があったんだよね。

その生活のなかでは「人との繋がり」というものを物質的な距離として感じられて、いつでも誰かと一緒にいる感覚があって、寂しさなんてものもほとんど感じなくてさ。

ところがドッコイ、そんなシェアハウス生活を終えた途端に「寂しさ」なるものを感じる機会が増えまして。コイツはなんなんだ、という疑問がしばらく解けないでいたりもしてね。

シェアハウスを解散したあとのぼくは、4つほど拠点をもちながら「東京バックパッカー」のような生活をしているのだけど、そんなフラフラした暮らしのなかでも、実家にいるときや恋人の家にいるときは安心感を感じたり、温かな幸せを感じたりしていたんだよね。

しかしながら、それ以外のタイミングで感じる「寂しさ」みたいなものはやっぱりあって、夜はそんな足音が大きくなってさ、むずむずしてくるのですな。だれかと心の繋がりを求めているような、正体のわからない居心地の悪さみたいなものがあって、そんな強敵とエンヤコラと戦う夜もあったりして、自分は弱いなあ、なんて感じいたりしてたわけ。
 

小さな存在

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そんな曖昧な気持ちを、なんとなくの寂しさを、誰しもが感じたことがあるのではないだろうかと踏んで、それならばワタクシが上手く言語化しつつ形容して差し上げましょう。なんて思ったのですが、この有様です。謝罪。

たぶんさ、夜は弱くなるんだよね。自分が小さく見えちゃって、自分のことなんて誰も見ていないんじゃないかって思っちゃうときもあるし、自分のしていることなんてすごくちっぽけなことなんじゃないかって不安にもなるし、そんなことでくよくよしている自分にも嫌気がさしてくる。悩みが膨らんでいくんだよね。

そんでもって赤い体力ゲージのぼくに強めのボディブローを打ってくるのが「孤独感」というやつでさ、コイツはなかなか厄介なんだ。世界中で自分は一人ぼっちなんじゃないかって思うくらいの疎外感に加えて、取り残されるような感覚にもなる。

もっと深くまで落ちると、自分というものが「存在」している意味みたいなものを考え始めちゃったりもして、誰かの役に立っているのだろうか、とか、必要とされているのだろうか、とかね。ぐおおって苦しくなる。とにかくちっぽけに思えてしまうんだよ、夜ってやつは。

夜になるとさ、真っ暗になって、静かになって、自分にだけスポットライトが当たるようで。嫌でも「自分」というものの輪郭がはっきり見えてくる。ふだん見ないようにしていた自分の弱さが、これでもかってくらいにピックアップされちゃうんだ。小ささも露呈される。そんな寂しい夜が、いつもヘラヘラしている僕にだってあってさ、キミだけじゃないんだよ。
 

そんな自分でさえ

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でもね、そんな夜を過ごしているうちに気づいたことがある。というより、最近のあれこれを経験していくうちに知ったことがある。

嫌なことも悩ましいことも、そりゃあもう数えきれないほどあるし、自分のダメなところなんていくらでも浮かんでくるんだけどさ、そんな僕も、僕を作っているということ。どんなマイナスな自分も「僕という人間」を作っている一部であって、それは必要なんだよね。

弱い自分がいなければ「弱さとは何か」をぼくは知らなかっただろうし、ダメな自分がいなければ「ダメな状態とは何か」をぼくは知らなかった。そんな自分の弱さと向き合うこともしていなかっただろうし、それを受け入れる術も知らなかったと思う。だれかの寂しさに寄り添うこともできなかったし、共感することもできなかっただろう。

つまりね、マイナスな自分は、今の自分の位置を知るために必要で、それがあるから、だれかの弱さにも寄り添えるのだということ。おなじように胸の奥がぎゅーっとなってる人をやさしく愛せるのだということ。

つまりのつまり、人間らしく温かく生きていくために「寂しさ」は必要なのだと思うわけです。
 


小さくたって、弱くたって、いい。

いつも元気に笑っているあなたが、人前では気丈に振る舞うあなたが、なんだか寂しい夜に寄り添えるような文章が書けたらなって、そんなことを言えたらカッコいいんだけどね、実際はこうして書くことで自分の寂しさをまぎらわしているだけでして。読んでくれてありがとうね。

ぼくもきみも弱い。一人じゃないんだよ。