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はなうた横丁

 ふらっとゆる〜く息抜きに。

理想像を追うのはやめた。ただ「自分」を生きるということ。


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誰にだって「理想像」というものがある。
 
それを追い求めたくなるし、
そんな自分にいつかはなりたいと思う。
 
僕だってそうだ。
なりたい自分の姿が明確にあった。
何度もイメージしていた。
 
でも、そんなことは全部やめた。
理想像は捨てることにしたんだ。
キッカケは一人の女の子との出会いだった。
 
 

すべては相関関係にある

 
先日、僕が「この子おもしろそうだな」
とおもう女の子に会いにいってきた。
 
あいぼんというハチャメチャな女の子だ。
 
そこで様々なトークを繰り広げ、
多くのことを学んだんだけど、
そのなかでとくに印象に残った言葉があった。
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

「夢を叶えたい」って言ってる人って、
ずっと叶わないんですよね。

 
モノゴトはすべて相関関係にあって、
「夢を叶えたい」ということはつまり
いまの自分は夢を叶えていない
ということになるんですよ。相対的に。

だから「夢を叶えたい」って言ってる人って
ずっと叶わないんです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
この言葉を聞いてハッとしたのと同時に
自分の中の引っかかりが取れたような気がした。
 
 
「理想を追っている」ということは、相対的に
今は理想の自分ではないということになるし
 
「幸せになりたい」という人は、
相対的に、今は幸せではないということになる。
 
 
つまり理想の自分を作り出した時点で、
理想の姿ではない自分」がそこにいて、みずから自分をそのポジションに置いてしまっているんだよね。
 
それはちょうど目の前にニンジンをぶら下げられて追いかけているお馬さん状態と同じで、いくら走っても届かない。というより、届かないポジションに自分で居ちゃってるんだ。
 
 
 

「自分」を生きる

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そのことを聞いた夜は大変だった。
自分のなかで何かが突き動かされて、人生というもの、幸せというものについてぐるんぐるん考えさせられていた。
 
思えば2年前までのぼくは他人の目ばかり気にしていて、一般的に「良い」といわれている人生を歩んでいた。たぶん親や同級生から見ても「順調に進んでるね」という感じだったんだよね。
 
でもそんな順調な人生の中で、ある日突然
このままでいいのかな?」という疑問が浮かんできて、やりたいことがドンドン湧き出てきて、どうしてもそれをやってみたくなったんだ。そして今後の計画なんてなにも立てずに、仕事を辞めた。
 
 
そのとき初めて人生を自分で選択したという感覚があったんだよね。「自分」を生きてるな、っていう感覚。

今までは外野の目ばかり気にして「一般的な」「みんなから見て」いいだろうな、という道を選んでいた。周りの目を気にしながら作り上げた理想像を目指して生きていてさ、苦しかった。
 
でも思い切ってやめてみて気づいたんだ。
幸せは " 今 " なれる」ってこと。いつかじゃなくて、今この瞬間になれるんだってこと。
 
 
 

在り方を見つめる

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夢を叶えたい!理想の自分になりたい!
ってことは
 
夢を叶えなきゃ幸せにはなれない、とか
理想の自分にならなきゃ幸せじゃない、って
言っているようなものなんだよね。
 
そうじゃなくて、
他人の目を気にした理想像とか
周りにカッコつけるための夢を追うのをやめて
自分がどうありたいか」を見つめることで
" 今この瞬間から " 幸せになれるなって。
 
つまり在り方ってやつ。
自分がどうゆう状態でありたいか、ってやつだ。
 
 
たとえば僕の場合は「ゆるく楽しく温かく
というのがモットーにあって、この状態でいられれば幸せなんだよね。なにをしてても、どこにいても、その状態で在れれば幸せ。
 
だからこれがぼくの「在り方」
 
逆に言えばこの状態でいられないことが苦しいし、自分が自分でいられなくなる。自然体とか自分らしさってものが出せなくなるんだ。
 
ぼくはこれを知ってからブレなくなった。
夢や目標や理想というのは、手を伸ばした先の枝葉の部分であって、しっかりとした(在り方)が自分の中にあった上で、目指すべきものなのかなと思う。
 
 
 

野に咲く花のように

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あいぼんは言った。
 
花は誰かのために咲いているわけじゃない。
私のために咲いてるわけでもない。
ただそこに在るだけで周りを幸せにする。
 
人に何かを与えようとしてるわけでもない。
giveを超えた、いのちの輝きなんです。
 

 

不思議な魅力をもった子だなあ、と感じながら

どこまでも自分に素直で元気なあいぼんに思わず笑っちゃって、温かい気持ちに包まれた。

 

ひと通り話し終えた帰り道、

自然はすごいなあ、と思った。


不完全でも、不格好でも、格好つけようとせず、作ろうとせず、自然体で、ただありのままの姿でそこにある。誰のためでもなく、ただただ「自分」を生きていて、そこに人は美しさを感じる。

 

 

外野に対して良い顔なんてしなくていいんだ。

理想の自分にならなくてもいいんだ。

あなたはあなたらしく、ただ自分の人生を生きているだけで、周りは幸せになっていく。

 

 

今ここに在る、そのままの自分を愛すること。

あるがまま、素直に、
「自分」のど真ん中を生きることができたなら
いのちは輝くのかもしれない。