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はなうた横丁

 ふらっとゆる〜く息抜きに。

現代のクリエイターがもつべき作品に対する「姿勢」


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昨夜、素敵な文章を読んだ。

>>クラウドファンディングが気づかせてくれた大切なこと(後編) | ハタラクブログ

ハタラクというサービスを発案したエンジニアの昇平さんが書いた記事だ。彼は現在ハタラクを世に出すためのクラウドファンディングに挑戦中で、そのなかで学んだこと、気づいたことをこの記事では綴っている。

その文章に胸を打たれた。クリエイターとしての姿勢、そして作品の生みの親としての背中を垣間見た瞬間だった。

ぼくが表現者として大事にしているマインドとすこし被ったので、持論も含め書いていく。
 

ブログを通して学んだこと

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ぼくはもうブログを一年以上も続けている。そしてブログで生計を立てている。自分の想いや感情を文字におこして、こうして文章を書くことで生きているので、自分は表現者だという自負もあったりする。

文章とは僕にとって自分の想いを伝えるツールでもあり、「作品」でもあるのだ。

今でこそ多くの人に読んでいただけているものの、ブログを書き始めた当初はまあ驚くほどに読まれなかった。アクセス数を見ておもわず笑ったほど。

それでも最初だから仕方ないと思うことにして、ひたすらに自分が「最高だ」と思うような文章を書き続けた。

いい文章を書いていれば、勝手に広まっていくだろうし、いつか誰かが発見してくれて、自然とブレイクスルーしていくのだろうと思っていた。

しかし、待てども待てどもそんな日はこなかった。アクセス数はすこしずつ微増しているだけで、自分のブログが脚光を浴びている未来図までは気が遠くなるくらいの距離があったんだ。
 

育児放棄をしていた

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そんな泣かず飛ばずの日々が続いたある日、ぼくはキングコング西野さんの文章をフェイスブックで読んだ。半年ほど前のことだ。

そこには「作品を生み出して終わりのクリエイターが多い。それでは育児放棄と同じだ。

というようなことが書いてあった。
その言葉がずっと心のどこかに引っかかっていて、今の自分にも当てはまるのではないか? と感じていた。

そういえば僕は作品を作って(文章を書いて)満足していて、それを誰かにキチンと「届ける」という努力をしていなかった。生みの親が届けようとしていないのに、その作品が広まっていくワケがない。

そんなカンタンなことに、そこで初めて気付いた。
 

届ける努力をしてみた

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その日からぼくは自分の文章を届ける努力をした。

毎日フェイスブックやツイッターに記事を投稿して、それをいかに拡散していくかの戦略も練って、そのための勉強もした。SEO(検索エンジン最適化)についてもたくさん調べた。

必死になって動きまわって、なんとかして自分の文章を届けようと、カッコ悪い姿も見せた。がむしゃらだった。

そうしてトライ&エラーを繰り返し、一年が経ったいま、やっとこさ多くの人に読まれるようになった。

インターネットが普及して、発信者が増え、これだけ情報がありふれた世界で「作品さえよければ自分のことを見つけてくれるだろう」と思っていた僕は、ただ覚悟と本気度が足りなかっただけだったんだ。
 

作品の価値

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良いモノを作れば、勝手に価値が認められていって、世の中に広まっていく

そう思っている人は多いとおもう。おいしい料理を作っていればお客さんが来てくれると思っている料理人、いい治療をしていれば患者さんは来てくれると思っているセラピスト、いい音楽を作っていれば、いい絵を描いていれば、いい文章を書いていれば。

ぼくもそうだった。

「クリエイターが作品を届けるために必死になって走り回っている姿」はカッコ悪いとさえ思っていた。

そうじゃなかった。

「作品の価値ってなんだろう?」 と考えたときに、たとえば自分だけの価値でいいのなら、自分が良いと思うものを作って、それを眺めてニヤニヤして、自己満足でおわってもいいのだと思う。

ただ、それを世の中に知ってほしいとき、広めたいとき、届けたい誰かがいるとき、そもそもそれを「認知」してもらわないかぎり、評価すらされないんだよね。作品の評価としては0になってしまうのだ。知ってもらって初めて評価の対象になる。土俵に上がれる。バッターボックスに立てる。

作品の価値を「他人(世の中)からの評価」としたとき、それをちゃんと届けるというところまで、生みの親であるクリエイターはするべきなのではないだろうか。本気で作った作品を、お腹を痛めて産んだ子を、産みっぱなしで育児放棄をしてしまっては息子(作品)がかわいそうであると感じた。
 



昇平さんの気づきを読んでそんなことを感じた昨夜は、ぼく自身初心に戻ることができ、これからも大好きな息子たちを、文章を、届けていきたいなと思い直した次第であります。

かっこ悪くても、ダサい親でも、愛する息子のために。