はなうた横丁

 ふらっとゆる〜く息抜きに。

" つまらないブログ " を捨てた。


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僕は今日、つまらないブログを捨てた。
 

 

PM 4:00

 
最近のいろいろなことを整理した。
 
素敵な本を読んだり、人と出会ったり、
いい記事を読んだり。そんな良い刺激
めまぐるしく僕の中に入ってきて、
処理できないでいた。
 
一度整理する時間がほしくて外へ出た。
どうやら春が近づいているようで暖かい。
 
考えごとをしながら一歩分もない歩幅でだらだらと歩きながら、だんだん頭の中が片付いてきたときに、ふと突き抜けたような感覚があった。
 
自分の中の重たいものがポンッと抜けたような、
そんな快感があった。
 
 

胸を打つ文章が書きたい。

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ひとつ忘れていたものがあった。
ぼくはブログを書き始めたとき(とはいっても3ヶ月前くらいだが)文章を書くことにワクワクしていた。まるで小学生がカタい泥だんご作りに夢中になるように、書くことに熱中していた。
 
自分のなかで広がる世界が言語化され、文字にカタチを変えて、全世界へと発信される。それを会ったこともない、どんなバックボーンがあるのかも知らないような人たちが読む。ぼくの文章をだ。ぼくの価値観バリバリで書いた文章が、ほぼ一方的にいろいろな人の記憶に入っていき、それがその人の人生のストーリーに何かすこしでも影響を与えるかもしれない。そのまんまクライマックスまでいくはずだった脚本に、編集が加わるかもしれない。そこに壮大なロマンを感じていた。
 
 

原点はどこだ

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「文章を書く目的はなんだ」と言われたら、
間違いなく「人に良い影響を与えたいから」と答える。読む人がいなければおそらく書こうとも思わない。
 
あるとき昔の友人からLINEが届いた。
「しみさんのブログを読んで、仕事をやめる決心がつきました!やりたいことやろうと思います。ありがとうございます。」というものだった。初めてこの文章を読んだとき、なにが起こっているんだ、と思考が停止した。自分の書いた文章が、今まさに目の前で人の人生を変えている。衝撃だった。
 
 
たとえばその記事をぼくが書いていなければ、その子はそれを読んでいないことになる。だとしたら、その子の人生はどうなっていただろう?そのまま嫌な仕事を続けながらの人生だったかもしれないし、はたまたどこかで気づいて方向転換していたかもしれないが、可能性は五分五分か、ちょっと前者リードだ。
 

そこに僕の文章が届いた。その子のなかでどんな捉え方をしたのかは知らないが、結果的にそれがなにかのキッカケになったらしい。これがすごくオモシロイとおもうのだ。僕が発信しなければ起きなかった出来事だ。ちょっと鼻を高くして言うならば、コレは僕が起こした。(あとでへし折っておいてほしい)

  
 

つまらない文章を書いていた

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でだ。本題はここからだ。
最近はというもの、ブログのことを知りすぎたせいか余計な知識がたくさんついた。" 余計な " というのは語弊があるのかもしれないが、やれSEOだとか、やれ検索流入だとか、そうゆう機械的なコトバがぼくの中で大きなウェイトを占めていった。
 
そうなると、本来の文章を書けなくなっている自分がいた。コンテンツとして仕上げることに目を向け、検索で上位に表示されるように着飾った。その結果、検索からの流入はもちろん増えたが、だれかの心を動かすことは減った
 
 
ブログを初めた初期のころは、LINEやらTwitterにてたくさんのメッセージが直接寄せられた。どのメッセージも大切に保存しているのだが、それらを今日見返してみて驚いたのが、ここ最近は全然来ていないのだ。ハッとした。 
 
 

「初めたて」にはすべてが詰まっている。

 
ブログ書き始めのころの記事を読み返していた。最高だった。こんな最高な文章を書ける自分はまぎれもなく最高だった。自分の好きな文章を書いて、息子のように可愛がっていた。自分の文章が大好きで、何度も何度も読み返していた。自惚れである。それでいいのだ。
 
今でも読み返すことはするが、ワクワクしていたあの頃のモノとは違った見かたをしている。チェックの視点だ。とても無機質である。
 
 

他者の目線からの脱却

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本来、まず自分の伝えたいこと想いがあって
そこに肉付けするようにコンテンツ化をしていく方針だった。とくにぼくの場合は、自分色を出していって人に良い影響を与えたいという目的で書いている。「人からの見られ方」を気にした僕の文章は、いわゆる平均的な、カドのない丸っこいものになってしまった。これでは誰にも刺さらない
 
いつしか、自分で自分の文章を読んでいても引き込まれなくなった。ワクワクしながら書くような、自分で書いたクセに何度も読み返しちゃうような、そんな文章が書けなくなっていた。いや、書かなくなっていた。そこに寂しさを覚えた。
 
そのことに本日PM4:00を回った頃、ふと気付いて、なんだか突き抜けた感覚があった。急にワクワクしてきて、衝動に駆られたようにぼくは今これを書いていて、指が止まらない。これだよ。これなんだよ。
 
 

カッコつけない

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そう。ぼくはカッコつけていた。
ありきたりな綺麗な文章を書いて、上手くまとめて、「ホラ、おれってすごいでしょ?検索にも良いんだぜ、コレ。」という感じだ。人知を超えてダサい。本来そんなに器用でもないしスマートでもない。
 
もちろんコンテンツとして仕上げることは大事だが
僕が伝えたいことや想い」ありきだ。人の心を動かしたいのなら。しかし今は「相手はなにを読みたいだろうか?」から考えてしまっている。目的がズレている。収益化も大切だけど、僕の場合、本来はそこじゃない。
 
 

そんな自分でさえ

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今日ぼくは初心に帰った。
カッコ悪い自分もさらけ出すことに決めた。
そんな自分でさえ愛すことに決めた。
文章で人の心になにか変化をもたらす
そんなことを再度していく。他人の目は気にしない。
 
自分が最高だと思ったものを、最高だと思うカタチで発信する。そこにカッコよさやらスマートさはいらなくて、カッコ悪くてどうしようもなくても、人の心に響くロックなものを作る。ぼくの書く大好きなものが、あなたが明日また生きようと思うアンサーになると嬉しい。
 
広々とした公園に春のやわらかな風を浴びながら気持ちよく大の字で寝ころがる。そんな感情のなか書き切ったコイツは、なかなか痛快で愛せる息子である。
 
 
始めてから2ヶ月半でブレ始めるなんて
顔を覆いたくなるくらいダサくて恥ずかしい。
 
でもこれが、誰の目線も気にせずに書いた、
誰のものでもない、ぼくの今だ。